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城南宮・鳥羽離宮址

(京都府・京都市)2004.2.11


“洛中洛外図絵巻”第弐弾!!
夢の跡≠ニいう言葉が似合う、まさに楽園の残景。
かつて一時代を築いた院政期を象徴する大宮殿こそが、
この鳥羽離宮なのです。
古の面影はほとんど残っていませんが、
一時代を形成しただけあって、
その残り香のような雰囲気がありました。






城南宮という呼び名で親しまれている「城南離宮」
さて、ここからは歴史の授業です(笑)
平安末期、父帝・後三条天皇からの譲位により二十歳にして王位についた白河天皇は、
実子・善仁親王の立太子に伴って譲位し、自らは上皇として院庁を置き幼帝の後見役と
なった。すなわちこれが「院政」のはじまりである。以後、堀川・鳥羽・崇徳の3代、
  40年余にわたる白河院政時代は上皇への権力集中が顕著であり、「その威権は四海に
満ち、天下これに帰服」するほどであったという。(『中右記』著・藤原宗忠)  
   あるいは賀茂川の治水・双六の賽の目・比叡山の山法師をもって
「天下の三不如意」と言わしめたほど強力・強靭な政権であった。
ってな感じです(笑) 歴史の授業、ちょっとは思い出しましたか?

城南離宮こと「城南宮」は国道1号線沿いにあります。
駐車場入り口から入るとすぐ目の前に鳥居、石燈籠が 据えられていて、ちょっとビックリします。
で、駐車場に車を止めてから、本日いちばんの目的、
七草粥を食べるために斎館に向かいました。
おっと!斎館の写真を撮ってなかったみたいなんで、
とりあえずこれをお聞きくださいm(_ _)m
七草粥といえば正月7日に食べるものですが、
ここ城南宮では祭事の一環として、毎日2月11日に
食べるようになったようです。
せり・なずな・すずな・すずしろ・ほとけのざ・
ごぎょう・はこべら、以上が春の七草(^^)
ちなみに上のやる気の無い歌声は、「唐土の鳥が 日本の
土地に 渡らぬ先に 七草なずな テッテッテロロロロ…」
聞けば、これは七草を刻む時の歌だそうです(笑)
城南宮内にある庭園の一隅に『源氏物語』に登場する
80余種の草花が栽培されているらしく、
その中に春の七草もあるそうです。
拝殿に祭られているのが、その七草。
奥に見えるのが本殿です。
両サイドの写真も本殿ですよ〜。

ちょうど本殿で御神楽が舞われていたのでこっそり撮影!
途中、お賽銭を投げ入れる音や鈴の音、
奉拝の際の拍手の音なども入ってますがご容赦を。
これは本殿を背後から撮った写真!
本殿は三間社流造、前拝殿、向拝、左右翼廊からなる 複合建築で、昭和53年の再建造営です。
この日は天気が良かったので、太陽が眩しかったです(汗)
←咲き始めたばかりの梅の花や、
京都が世界に誇る「京セラ本社ビル」を→
横目に見つつ、参道をあるいていると、…
東鳥居の少し手前に、
かなり立派な「城南宮社務所」が登場〜!
じっくり見るためにズカズカ進入しようかと思ったけど、
何となく良心が痛むので、止めておきました(笑)
とりあえずは城南宮をあとにして、鳥羽離宮の
中心的建造物、安楽寿院に向かうことにしました。
鳥羽離宮(別称:城南離宮)は先に述べた白河上皇の院政期に造営されました。
かつてはこの鳥羽離宮の南方に巨椋池というかなり大きな池があり、
そのすぐ傍らに築かれた鳥羽離宮は水面に浮かぶ龍宮のようであったといいます。
現在でもこの巨椋池の名残りはあり、中書島という池中にあった島の名前が現在もそのまま
地名・駅名として使われているほか、JR京都線が湾曲して京都駅に向かっているにもかかわらず、
近鉄京都線がまっすぐ南北に走っていることでもわかります。
つまりJR線が敷設されたときにはまだ何らかの形で巨椋池が残っていっために、
その畔に沿うようにして敷設せざるを得ず、近鉄線敷設の際には埋め立ての後だったということになります。



第72代 白河天皇
(1053-1129)
成菩提院陵


第74代 鳥羽天皇
(1103-1156)
安楽寿院陵


第76代 近衛天皇
(1139-1155)
安楽寿院南陵
これが真言宗智山派・安楽寿院です。
鳥羽上皇による院政時代に、城南離宮東殿として
建てられたのが元であり、1137年に寺に改められました。
鳥羽上皇も白河上皇と同じく仏教への帰依深く、
五重塔下に上皇宸筆の法華経を納め、崩御ののちは
その五重塔(=本御塔)に埋葬され安楽寿院陵となった。
また美福門院(鳥羽天皇皇后)は御子近衛天皇のために
新御塔を建ててその塔下に葬り、安楽寿院南陵とした。
現在の新御塔は豊臣秀頼の再建によるものらしい。
またこの安楽寿院は「鳥羽・伏見の戦」の折、
官軍の大本営として利用され、錦の御旗が翻ったという。
城南宮の駐車場へ向かう途中、「北向不動尊」という
由緒あり気な場所を発見!!
ちょっと撮影してみましたが、正式名称やその由緒などを
撮影し忘れていたみたいで、詳しいことはわかりません(汗)
ちなみに左の写真、
おそらく御住職のお宅だと思われますが
「南面」という表札が掛けられていました。
北向不動尊に南面さんって(^^; 思わず笑ってしもた(爆)

これが城南宮の西鳥居に掛けられている『城南離宮』の額。
有栖川宮幟仁親王染筆によるもの。もちろん、本物の有栖川宮家です(笑)






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